開設宣言;つまらぬブログを目指して

周囲の人々からブログを始めるよう要請されていたのを,長い間放置していたわけであるが,ここに至ってとうとう始めることを思い立った.
タイトルの「対称な手前から」と云うのは,オマージュである.若き物理学者である親しい友人が開設するブログへの,完全なオマージュである(もちろん本人の許諾は得ている).そして,このブログに於いて句読点(、。)ではなく,ヴィルギュールとペリオド(,.)を用いるのも,友人に倣ってのことである.
日頃から数学・物理学の書や欧文を読み慣れる者にとっては,句読点よりも,ヴィルギュールとペリオドの方が親しみやすいのである.
そしてまた,コンマ・ピリオドと呼ばずに,ヴィルギュール・ペリオドと呼ぶのは,私がフランス語を好むからである.

さて,ブログと云うのは,大辞林によれば以下のことであるらしい.

〔ウェブ(web)とログ(log)を合わせたウェブログweblog)の略〕
個人が身辺の出来事や自分の主張などを日記形式で書き込むインターネットのサイトやホーム-ページ.

日記形式で,と云うものの,私は,このブログを単なる日記にしておくつもりはない.
いくらか緊張した文章修業の場としていきたいと云う不純な動機を持っている.
その試みが一体どこまでうまくゆくものか,私にもはなはだ疑問であるが,とりあえずやってみるしかあるまい.


ブログを始めるとしても,何事を書き付けていくかという題材の問題を解決しなければ,継続することはできまいと思う.
私としては,適当な題材について,適当に書いていくのが良いと思われる.しかし,適当な題材が尽きれば,おのずと日常の記録を書き付けるだけのものへ堕するだろうことは確実である.そのようにならぬよう,種々の題材を発掘していくことが肝要であるのだが,私は飽き性である.いつこのブログに飽きるとも分からぬ.
そう云うわけで,頻繁なブログ更新はもとより,内実に期待するのはおすすめしない.

ここまでお読みいただければ分かるように,このブログの文体は,適度に堅苦しい
それは,先に書いたように,文章の練習をしようなどと下心を抱いているからである.


前書きはここまでにして,このブログ最初の題材は,文体についてである.
私は文体について語ることはできぬので,ここでは,ただ単に文体と云うものをどのようにとらえていくか,ひたすら悩むだけである.開設初回からなんとも煩わしいブログである.

文体が一体何かと云われると,実際あいまいである.辞書を引けば,文体とは,文章の様式あるいは,その作者特有の文章表現と云うことである.

文体とは,文章の内容とは関係のない,形式的芸術様式と云う定義をどこかで見たことがある.メタ文章であろうか.
同じ内容の文章であっても,その表現様式が異なると云うことが文体の違いである.

私は,最近になって,小説を書くと云う,壮大に無謀なことを試みているので,やはり文体には意識的になる.ところが,己の文体をつかみかねている.それは,単に書き足りないと云うことに起因すると思われる.ならば,もっと書くと云うことの他に自前の文体を確立する方法はないわけである.
それでも,どうにかして自分の文体を早く持ちたいと思うのが人情である.そこで,いろいろな作家の文体を模倣してみる.
近頃,特に執心なのは,三島由紀夫の文体である.
とにかく美しい.三島大先生の文体を真似るなど,無謀にも等しいのであるけれども,好きなものは仕方がない.日々三島文学を読みあさる.
そう云う三島大先生は,森鴎外の文体に傾倒したと云うので,本来なら鴎外の文体を模倣すべきなのかもしれぬ.
ただ,鴎外は,興味本位に『ヰタ・セクスアリス』を購入して,最初の数ページを読んだだけで放置してある.
私の文体改造と云うのは,まだまだ歩み始めたばかりのようである.

私は,基本的には,簡潔で美しいがやや重い文体が好みである.
だから,おのずとこのブログの文体もそう云う方向へと傾いていくのである.

ライトノベルと云うジャンルも好きである.ライトノベルの文体は,やはり,若い人を対象にしているだけあって,読みやすいものが多い.ともすれば無個性かもしれぬ.
その中でも,竹宮ゆゆこの文体は良い.名作『とらドラ!』や近作『ゴールデンタイム』に見られる,軽快でいて女性的感性に満ちあふれた文体は,特徴的である.私にはとうてい真似できまい.


いまのところ,私の文体は,三島大先生と,京極夏彦の影響を受けていると思われる.「いう」を「云う」と書くのは,京極先生の影響が大である.


趣味のフランス語に場を移してみると,レイモン・クノーの『exercices de style(文体練習)』と云う本がある.日本語訳もある.
これは,フランス語のありとあらゆる文体を99種類試してみたと云う実験的作品である.フランス語は,時制の豊富な言語であり,単純過去,複合過去,単純未来と云った様々の時制を使い分ける様子は圧巻である.
日本語で読んでも十分おもしろいと思う.フランス語で読むとなおのことおもしろいに違いない.
私は,すべてを読み通したわけではない.フランス語の講義で,いくつかの文体に触れただけである.それでも,作者の目指した実験性を豊かに感じることができたほど興味深い作品である.