マンガ<マイルノビッチ>

今日もマンガについて書く.
店頭で偶然見つけた作品だが,第1巻が入手困難な状況にあって読むのは当分諦めていた.どうやら最近増刷されたようで,ようやく手に入るようになった.

マイルノビッチ 1 (マーガレットコミックス)

マイルノビッチ 1 (マーガレットコミックス)

マイルノビッチ 2 (マーガレットコミックス)

マイルノビッチ 2 (マーガレットコミックス)

木下まいるは,眼鏡を掛けた地味な女子高生.自分のことをブスだと思っており,周囲からは「毒キノコ」とも揶揄される.しかし,男子に悪質ないたずらをされてからかわれたことをきっかけに,ブスから脱却しようとする.

まいるには,ブスから脱却しようという強い意志がある.あきらめそうになることもあるが,熊田天佑なる男子生徒の助けも借りて,華やかな乙女の世界へ向けて邁進する.
途中で,まいるは,自分が人生をサボっていた(かわいさや華やかさは天与のものと諦め,美しくなる努力や,男子と積極的に関わろうという努力を怠っていた)ことに気がつく.

このマンガを読んで思うことは,美とは先天的なものもあるが,それ以上に後天的なものが効いてくるということ.努力無しには,女性としての可愛らしさの獲得ができないということ.(フェミニズムの視点から見れば,ここで云う美やら可愛らしさというのは,あくまで男性視点の一方的なものと批判されるのかもしれないけれど,ここではご容赦願いたい)

世の男性諸君の中には,もちろん,装われた美を見抜く人々もいるだろう.しかし,たとえば,若年の男子諸君,地方から都会の大学へ進学してきた若い男子学生諸君の中には,この装われた美を見抜けずに,鼻の下を伸ばす者も少なくないだろう.装われた美を見抜くのは,容易ではない.それは,女性たちの相当の努力の結果であり,男子らに見抜かれるようでは意味が無い.

作中,見違えるほど可愛くなったまいるに接近してくる男子生徒が登場する.彼は,まいるの表層しか見ていない.だが,まいるもまた,彼の表層しか見ていない.お互いに見るべきは,その本質である.