まもなく2月,なので

修士論文は何の問題もなく提出した.あとは発表会を2月に控えるのみである.問題なのは,修士課程を修了する3月末日までに(英語の正式な)論文を投稿しなければならないということ.私は4月から研究室を移動するからである.もっとも,次の研究室のボスからは前の研究室の仕事を終わらせてから来るようにと言われているので,もし間に合わない場合には,年度が変っても現在の研究室にしばらく残ることになるだろう.

博士から研究室を変更するというのは,なかなか勇気の必要なことであろう.なぜなら,研究の連続性が失われ,その分だけ仕事を完成させるのが難しくなるからである.とはいえ,私の場合は,今の仕事をまとめて,論文として発表できそうなので,修士の段階で一区切りつくのである.論文を一つ出したら,もう同じ研究室にいる必要はないと思っている.次の研究室に移って新しい仕事を始める方が楽しい.私は飽きっぽいのである.

さて,この1ヶ月あまり,非常に多忙で,休暇も思うようにとれなかった.体調の芳しくない日々が続いたが,最近ようやく落ち着いてきている.研究者のスキルのひとつとして,体調管理は重要である.

自分ではそのつもりはなかったけれども,振り返ってみると研究に没頭した期間だったと思う.しかしながら,これが楽しいかといえば,必ずしもそうではない.率直に云って,苦しかった.楽しさを勝る苦しさがあった.そもそも,仕事を楽しいと云える人間を私は信用できない.研究は,一瞬楽しい,そしてほとんど苦しい.これが私の素直な感想である.先日,或るパンフレットに,「研究室のホープ」という特集があるのを目にした.研究者の卵にインタビューした記事である.研究が面白くてしかたないと書いてあった.私は非常に強い疑念を抱いたのであった.それは本当に楽しいのか? 何故楽しいのか? 何故そんなに単純なことに喜べるのか? ここまで私が厳しく追及するのは,私自身が研究に多大な苦しみを感じているからである.

大脳生理学の権威に直接話を聞いたことがある.その先生は,研究は大変だと仰っていた.研究者として大成した人物でもそのように感想を漏らす.

西炯子氏という大変優れた漫画家がいる.そのエッセイ『生きても生きても』の中に次のようなエピソードが載っている.テレビの番組で,高校生たちが長年焼き畑で農業をしている老婦人を訪ねる.仕事を体験したあと,高校生は「おばあさんはこの仕事が好きだからやってるんですよね」ときく.すると,老婦人は,「仕事はそういうものではない!」と憤慨したのだそうだ.

仕事(研究)が楽しいという言説は,実は非常に危険なのではないか,と私は思うのである.その理由をきちんと理論化して示すことが現時点ではできないのがもどかしい.いつか理論化を試みてみたいと思っている.

発売から1ヶ月が経過してしまったのだが,西尾維新恋物語』を読んだ.物語シリーズセカンドシーズンの最終巻である.

恋物語 (講談社BOX)

恋物語 (講談社BOX)

やはり西尾先生,ただでは終わらせない.まず冒頭からして意外性に読者は驚くだろう.他の人たちが本作品について多くを語っているだろうから,私はあまり語らないことにする.
折口信夫によれば,相手の魂を招き乞う動作,それが「こひ」であるという.相手の魂が得られれば,相手は自分のものになるということらしい.本作では,『囮物語』に続き,千石撫子が文字通りに暦の魂を奪おうとする.もっとも,それは乞うなどという生やさしい動作ではなく,殺してでも,という恐るべき憎悪による.暦の魂を乞うのは戦場ヶ原ひたぎの方であろう.

しかしながら,西尾先生の旺盛な創作意欲には本当に驚嘆させられる.フィナンシャルジャパンという雑誌に,西尾維新の特集が出ている.デビューからおよそ10年,その間58作もの作品を世に出した.平均して年間6作,つまり2ヶ月に1作を刊行する驚異的な執筆スピード.文字通り勢いのある作家である.『偽物語』が1月から放送されているし,劇場版『傷物語』の公開も控えている.今後も目が離せない作家である.