ブラックな環境に飛び込むことについて

本書はタイトルが良い.(私は)思わず手に取りたくなる.
神戸に住む三姉妹が,それぞれの恋愛事情に悩み行動する.三人の物語を,三人の視点から描く三章の構成.気軽に読める.
三島由紀夫を読むときには,やはり,どことなく身構えてしまう.何故か? 何か劇的なことが起こるのではないかと,恐れるからであろうか.現在放送中の『サイコパス』というアニメを視聴するときにも,そういう不安が常につきまとう.虚淵玄が関わっているからであろうか,物語はどこまでも厳しく,秩序やら人間性やら,我々が生きる上でよりどころとするものをことごとく打ち砕く.この点,深沢七郎楢山節考』の持つ破壊力に通じるものがあって,私は恐るべきアニメが出来上がったものだと身が震えた.ただ単に残酷だとか,猟奇的だとか,エログロだとか,暴力的だとか,そういう表層的なものではない.人間の生活のもっと深いところで,価値観の嘲笑と破壊が起こっている.第11話のクライマックスなどその良い例であり,『楢山節考』で発生した人間性の蹂躙と類似する,悲劇の軽視というものが起こった.
サイコパス』ほどの秀逸な作品はなかなか世に現れないように思う.

かなり脱線したが,『好きと嫌いのあいだにシャンプーを置く』は,上記のような恐怖と不快さに脅かされずに読むことの出来る作品である.脅威を覚えされるような作品ばかりに触れていると,心が重くなるし,だんだんにこちらの精神までもが壊されるような錯覚を覚えるものである.『限りなく透明に近いブルー』の巻末解説で綿矢りさ氏が述べている「この世界の暗部」に触れ続けると,心に染みついた穢れが容易には消えなくなる.合間に,心温まる作品を挟んで,クッションとすべきかと思う.


さて,私は,何か現状に不満を感じているらしい.それが何であるかを具体的に示すことのできないもどかしさがある.人生を善く生きる上では,自分の好きなこと,そこまで言わなくとも,嫌いではないことを見つけられれば幸いである.そんなものが幻想であろうという気はしないでもない.だが,完全に否定しきれないのは,なにがしかの希望を抱いているからであろうか.
私の祖父母は長年にわたり農業に従事してきた.私の生家があるあたりでは,祖父母の世代に,職業選択の自由があったとは思われない.それなのに,(少なくとも私の視点からは)彼らは不満を漏らすでも無く,早朝から日が暮れるまで,仕事に勤しんできたのである.しかも,その期間たるや,私の年齢の2倍以上である.なぜそこまで黙々と働くことができるのか,疑問に思うとともに,私は,そのような生き方ができることに大きな尊敬を抱いている.
結局のところ,自分のしたいことを見つけるというよりも,これをやり遂げるという覚悟を持つということが重要なのであろうか?

私は,比較的恵まれた環境で生きてきたと思われるので,シビアな経験が圧倒的に不足している.生来のひきこもり気質で,外に出る習慣もなければ,他人と積極的に関わることもあまりない.
この傾向が,今になって,私に不満を抱かせる原因ではないかと自己分析している.
私にはもっと多様な経験が必要である.30歳が近づいてきているので,時遅しという感もないではない.しかし,全く自覚しないよりはましかと思われる.
経験のひとつとして,まずスイスに行ってくるのである.彼の地で異質な文化に触れることができれば,と思っている.

もうひとつ,私は,過酷な環境に身を置いてみたいと考えている.朝9時から翌午前3時まで働くような環境はどうか? 大変であろう.私も一ヶ月に一度はそういう労働時間の日がある.かなり大変である.これが毎日続いたらどうか.長くはもつまい.けれども,やってみたい気がするのである.経験として.

学部時代,必修の英語の講義があった.ライティング,リーディング,プレゼンテーション,コミュニケーションの講義が,各学期に一つずつあり,1年半で3種類受講するというシステムである.いくつかのクラスに分かれており,好きなクラスを選択できた.人数多数の場合は抽選である.外国人講師による授業もあった.私は,敢えて,外国人講師の授業を選択した.日本語を解さないうえ,厳しい先生だったので,苦労した記憶がある.先生との会話は当然英語であるが,質問にまともに答えられないだけで叱責されるほどだった.自然,授業には緊張感があった.試験も容赦のないものであったけれども,どうにか乗り越えられた.
ある日の講義で,まじめに受講していない学生に対して「日本の場合,学費は親が払っているのだから,それに報いるだけの勉強をしなければならない」といった趣旨の発言が先生からあったと思う.この感覚は,さすが欧米人と思ったものである.欧米では,学費は自ら賄うのが一般的だからである.
厳しかったし(学生が教室の後方に座ることを許さなかったり,なにかミスすると叱責されるような,大学にしてはめずらしい講義のひとつ),胃が痛くなる思いもしたけれども,この英語の講義は印象深かった.これくらいの厳しさがなければ,刺激にはならないのではないか.