涼宮ハルヒの憂鬱について

私が,アニメーションに大きな関心を抱くようになった契機は,『涼宮ハルヒの憂鬱』を視聴したことである.
視聴に至るまでの経緯は,宿命的なものであったのかもしれぬ.
大学2年のときである.自室にいた私のところへ,友人non氏がやってきた.彼は,私にハルヒを見るようにと強く促した.それほどの関心も持ってはいなかったのだが,半ば強制的に見せられた.
視聴後最初の感想と云うのは,困惑であった.当時,アニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』は,導入部分に於いて低からざる障壁を持っていたのである.と云うのは,制作サイドの意図により,作品の時系列が完全にシャッフルされて放送されたためである.これは,原作小説を既に読了した視聴者を飽きさせぬよう配慮した措置であった.それがために,初見の視聴者にとっては,ストーリーを掴むことすら容易ではなく,敷居の高い作品となっていたのである.

それでも,私は堪えた.堪え忍んで,視聴を続けたのである.
すべてを視聴し終えたあとの感想は,傑作であった.作画が素晴らしかったのである.ハルヒの作画は,安定していて,しかも生き生きとした生命にあふれていた.日本のアニメーションの作画水準の高さに脱帽した.
ストーリーも良く構成されていた.ヒロインである涼宮ハルヒの設定は,ともすれば放胆・奇矯に過ぎて,受け入れがたいものになる.それを,巧緻に設計されたストーリーが絶妙に包み込み,ひとつのエンターテインメントとして結実している.

印象的な場面は,ハルヒの潜在能力により世界が改変されんとするシーンである.ここでは,それまでの日常的描写を巧みに裏切り,物語の壮大さが強く印象づけられる.BGMとして流れるMahlerの交響曲第8番は,卓抜の選曲であった.神人により破壊される世界に,Veni Creator Spiritus =創造主なる聖霊よ来たれ と云う音楽が鳴り響く画面は,圧巻である.閉鎖し崩壊する世界に,ハルヒと云う創造主の到来を謳ったものである.

涼宮ハルヒの憂鬱』は,原作小説も読んだが,時系列の操作が極めて巧みである.これだけのストーリーを構成する労苦は並々ならぬものがあったと思われる.
ファンには喜ばしいことに,原作小説の最新刊が2011年5月に発売予定である.実に4年ぶりの新刊であるから,非常な期待を持って発売を待ちたい.

このように,『涼宮ハルヒの憂鬱』は,私にとっては記念碑的作品なのである.