読書記録<ボヴァリー夫人>

第2外国語はフランス語であった.
自然科学の学会では,主流な言語は英語となってしまったが,私はフランス語のほうが好きである.

フランス語は好きなのだが,フランス文学にはそれほどの興味はもっていない.完全に興味がないわけではない.積極的に読む気がないというだけのことである.

フロベール(Flaubert,フローベール,フローベルいろいろな記法があるけれども,フランス語は母音の発音の長短を区別しない傾向にある.ただ,私がパリジェンヌの先生に習った発音ではおそらくフロベールが一番近い)の作品『ボヴァリー夫人』については,名前だけは以前から知っていた.
読もうという気になったのは,『ボヴァリー夫人』が,バルガス=リョサに大きな影響を与えたという話を知ったからである.
ボヴァリー夫人』に出会ったときから,バルガス=リョサの「小説家としての真の歴史」が始まったのだそうである.それほどの作品ならば,是非読まねばなるまいと思ったわけである.

ボヴァリー夫人 (新潮文庫)

ボヴァリー夫人 (新潮文庫)

あらすじとしては,田舎医者の妻エマ・ボヴァリーは,凡庸な夫に飽き飽きし,不倫を重ねるうちに破滅していくというものである.
この破滅は,やはりエマ自身の責任であって,自業自得というものであろう.
最近『神様ドォルズ』というアニメの中で,やはり不倫のために身を崩し,破滅する女性教師がいた.主人公の青年は,この女性教師に好意を持っていた.だから,女性教師を擁護するような捉え方をする.しかるに,視聴者の視点からすれば,やはりこの女性は軽率であった.この軽率さは,エマに通じるところがあって,結局最後は死という破滅が待っているのである.

ボヴァリー夫人』は,150年ほど前の作品である.
時代背景への無知から,読みにくさは存在するものの,概ね楽しめたといえよう.このような読書の満足感は,重厚な文学作品ならではのものである.しかし,一面では重いとも云えるので,ときにライトノベルを読んで軽快な読後感を味わうのも悪くはないのである.