読書記録<茶の精神>

昭和23年に初版が発行された.
弘文堂のアテネ文庫294点のうち,40点が復刊されたらしい.その第1巻が本書である.

仏教学者・久松真一著.
表紙には,木紙という本物の木からスライスして作った素材が用いられ,木の香りが漂う.

タイトルの通り,茶道の精神が簡潔に述べられている.
お茶を点てることは,中国にもあるが,茶道という総合的文化体系にまで整えられたのは,日本独特のことだと云う.日本の茶道は,芸術・道徳・哲学・宗教といったあらゆる文化を吸収し,一つの体系をつくっている.

侘(わび)とは,昔は(貧乏などで)道具を持たないことを意味していたらしい.茶道具を持たない茶人を侘茶人と云ったのだそうである.一方で,茶道具を集めている茶人を数寄(すき)茶人と云った.ここに,侘と数寄の対義があったのが,次第に侘数寄という熟語として用いられるようになり,さらには,侘の意味の方が強くなっていった.そうして,侘数寄の茶が出来てきたそうである.その頃には,侘数寄というのは,道具を持つ持たないの意味が薄れ,日本茶道の創造的精神になった.

創造的というのは,何でもないものの中に価値を見いだす,新価値の創造ということ.
この侘数寄の精神が働いてくると,既存のものに満足できず,茶碗をはじめとする茶道具や,茶席建築までも自ら行うようになった.

茶道と云うと,もちろんただ喫茶するだけのことではなしに,そこに何か精神的なものが宿ってるとは思っていたが,それが創造の精神とは,実に面白い.

高校の頃,茶道部(同好会だったかもしれぬ)があった.大学のときも茶道のサークルはあった.興味を持っていたが,結局関わらずに今に至ってしまった.教養の一つとして身につけておくべきだったと思っている.
ただ,本書では,茶道の行為規範を生み出した心(普通の人の気づかぬ繊細な思いやり,行き届いた道徳のある心)が忘れられていて,茶道が茶席の遊びに堕し,日常生活に茶が生きてこないと云っている.教養の一つとして身につけようという安易な構えでなく,深い哲学,茶道的悟りにまで達しようとしなければ,あまり意味はないのかもしれない.