読書記録<究極のドグマ>

究極のドグマ―穂瑞沙羅華の課外活動 (ハルキ文庫)

究極のドグマ―穂瑞沙羅華の課外活動 (ハルキ文庫)

機本伸司『神様のパズル』『パズルの軌跡』の続編.
『神様のパズル』では,大学生・綿貫基一と天才美少女・穂瑞沙羅華が,コンピュータサイエンスと物理学を駆使し,宇宙を創ることは可能かという問題に取り組む.『パズルの軌跡』では,就職した綿貫と,高校生になった沙羅華の二人が,あるセミナーに潜り込み,粒子加速器を使って新たな人間に生まれ変わることを標榜する団体と関わる.

穂瑞沙羅華は,自らの出生に非常な(悪い意味での)拘りを持っている.彼女は,世界の天才たちから集めた精子バンクにより生まれた.若干16歳にして大学に在籍し,物理学・コンピュータサイエンスの天才である.しかし,己の才能の大きさと,16歳の少女という等身大の自分との乖離に悩み,自分など生まれなければ良かったと思う.結局,大学を離れ,普通の高校生として暮らし始める.

宿命的な重さを背負った沙羅華も,平々凡々たる青年の綿貫との交流により,ほんのわずかに頑なさを崩していく.とはいえ,彼女が己の心を開示することはない.

本作『究極のドグマ』では,綿貫・沙羅華の二人が,依頼を受けて猫を捜索する.この猫は普通の猫ではない.Transgenic catである.一匹の猫を発端に,分子コンピュータや遺伝子操作生物など,ある企業の推進する計画が明らかになっていく.

著者の機本氏は,理学部の出身だけあって,前作までは物理学の知識を駆使した作品で楽しませてくれた.今回は,さらに生命科学の知識を導入し,我々人間とは何かという問いをもたらしてくれた.

本書の中で,DNAや遺伝子の改変について触れられている.現代の生命科学の世界では,遺伝子操作は日常的に行われている.細胞レベル,個体レベルの両方で遺伝子操作が可能である.遺伝子操作なくして,生命科学の進歩はないといっても過言ではない.しかし,遺伝子操作は,その結果を完璧には予想できないので,病気の治療というレベルでは慎重な運用が必要であろう.遺伝子治療は,たとえば,先天的に必須遺伝子を欠損した患者に行われるわけだが,成功例もあり,患者はいまも生存している.ところが,遺伝子治療による死亡例もあり,それほど盛んには行われていないようだ.

タイトルの「ドグマ」という言葉は,教義くらいの意味である.生命科学では,DNAからmRNAを合成し(転写)mRNAをもとにタンパク質を合成する(翻訳),という一連の流れをセントラルドグマ(中心教義)と云う.逆転写酵素の発見,真核生物でのスプライシングの発見によって,セントラルドグマは修正されて現在にいたるが,セントラルドグマという用語はあまり使われていない.

近年では,エピジェネティクスepigeneticsと云う概念も重要視されている.DNAは,ヒストンと呼ばれるタンパク質に巻き付くことで,非常にコンパクトに細胞内の核に収納されている.このヒストンタンパクのメチル化,アセチル化,リン酸化などによっても遺伝子発現は制御される.遺伝子配列の情報とは独立した現象で,同じ遺伝子を持ちながら,細胞が全く違った性質を示したりする.