読書記録<妄想ジョナさん>

妄想ジョナさん。 (メディアワークス文庫)

妄想ジョナさん。 (メディアワークス文庫)

メディアワークス文庫から発行.
ライトノベル業界最大のレーベル「電撃文庫」を展開するアスキー・メディアワークスは,2009年12月に新しい文庫レーベルを創設した.メディアワークス文庫である.ライトノベルと比べて,より文芸の方向へと向いた.ライトノベルが中高生を主要読者層としているのに比較して,メディアワークス文庫は,ライトノベルを卒業した,しかし本格文芸に手を出すのを躊躇している読者が,文芸作品を気軽に楽しめるように配慮したのが感じられる.メディアワークス文庫には,ライトノベル出身の作家に加え,メディアワークスの主催する新人賞である電撃小説大賞にてメディアワークス文庫賞を受賞した作家,あるいは過去の電撃小説大賞の選考で編集者の目にとまった作家などが参加している.

レーベルの特徴から,ライトノベルに近い感覚の作品が多い.それでいて,ライトノベルとは少し読後感が異なる.ライトノベルが完全にエンターテインメントに徹しており,漫画的な,派手な設定が多いのに対し,メディアワークス文庫は,もっと現実寄りの落ち着いた作風の作品が多い.学生時代を終えたばかりの若い社会人が,読書の手始めにメディアワークス文庫を気兼ねなく手に取ることも十分に可能であろう.

本書『妄想ジョナさん』は,極度の妄想癖のある大学生の前に,ジョナさんという女性が現れ,主人公を妄想から解放すると宣言する,という作品である.主人公の妄想は非常に重度なもので,常に幻聴・幻視・体感幻覚などの幻覚を感じている.もはや,統合失調症的な症状にも思えるのだが,主人公は,とうとう自分の幻覚の産物である女性に恋をしてしまう.ところが,あるときこの幻覚が突如として消失し,主人公は深い失意に陥る.傷心中の彼の前に現れるのがジョナさんである.ジョナさんは,主人公の幻覚であるにも関わらず,主人公を妄想から解き放とうとし,大学でも孤立している主人公をコミュニティに参加させようとする.最後は,人間関係の充実によって妄想から解放された,成長した主人公の姿が描かれて終わる.

本作でのジョナさんは,あくまでも主人公の妄想であり,彼以外には関知されない.このように,あくまでも現実性を失わないのが,ライトノベルメディアワークス文庫の違いだろう.

気軽に読書を楽しむという点では,メディアワークス文庫は格好の書であると思う.しかしながら,読書に親しんだ者にとっては,おそらく物足りないのではないか.レーベルの特徴として,本格的な人間の苦悩には立ち入っていない.人間の苦悩を深く描きすぎると,作品が重くなるし,いよいよ本格文芸の領域に立ち入ってしまう.このレーベルは,ライトノベルと一般文芸作品の中間にある.もしも,深い味わいを求めるのなら,他の文庫レーベルに進むべきであろう.

近年では,ライトノベルと一般文芸の境は曖昧になってきている.たとえば,桜庭一樹氏の作家としてのキャリアは,ライトノベルから始まっているが,『GOSICK』シリーズの成功のあと,『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』を契機に一般文芸に進み,『私の男』直木賞を受賞している.書評家・豊崎由美氏,評論家・大森望氏は,ライトノベルの中にも文藝賞芥川賞作家・綿矢りさが『インストール』で受賞)を受賞するような質の高い作品があると云う.ライトノベルは,もはや昔のように偏差値の低いレーベルではないということである.

著者の西村悠氏には,前作『僕と彼女とギャルゲーな戦い』がある.これもメディアワークス文庫から発行されている.著者のゲームシナリオライターとしての経験が生かされた作品で,「書く」ことのなみなみならぬ熱さが紙背にまであふれている.