読書記録<楢山節考>

楢山節考 (新潮文庫)

楢山節考 (新潮文庫)

新潮文庫深沢七郎著.

表題作『楢山節考』のほかに三作を収録した短編集.

ここでは,『楢山節考』についてのみ書く.本作は,信州の山間にある村が舞台となっている.この村は貧しく,食糧は常時不足している.村では,70歳になった者は,楢山まいりをすることになっている.まもなく70歳になる老婆おりんは,楢山まいりの準備を着々とすすめ,妻を亡くした息子の後家を迎え,何の不安も残さずに山に行こうとする.楢山まいりとは,すなわち,年寄りを山に捨ててくるということである.食糧が不足している村では,健康な老人をずっと生かしておくのは得策ではない.晩婚を勧め,子どもは多く作りすぎずにいることを奨励する村である.おりんは,村のしきたりを良く理解しているし,それに忠実に従おうとする.そこには,個人としての感情は差し挟まれない.

おりんは,健康な体を持ち,歯もそろっている.現代ならば,高齢になっても歯がそろっていることは健康の証として奨励されることなのだが,おりんは,自分の健康な歯を恥じているのである.それで,自分の歯を損なわせようと,石に歯を打ち付けて折ろうとする.なんとも不快な描写である.

おりんの息子や,その後家は,おりんを楢山に連れて行く日を先延ばしにしようとしている.一方,おりんの孫は,おりんは一刻も早く楢山に行くべきだと思っている.息子にとってみれば,母親のおりんは,やはり離れがたい肉親であろうし,山に捨てるなどというのは,できればしたくないのである.いや,それだけではなかろう.おりんを山に捨ててきたあとは,自分の番がやってくる.それを恐れてもいるのではないか.おりんの孫は,年寄りなど邪魔だから捨ててしまえと思っている.孫は,まだ若いから,自分の番を考えないし,自分に干渉してくる年寄りを疎ましく感じているのだろう.

厳かな儀式のあと,おりんは,息子に背負われて楢山に行く.山を進んでいくと,そのうちに岩だらけの禿げ山になり,白骨が転がっている.死んだばかりの遺体もある.息子は,いよいよ恐ろしくなってくる.おりんを下ろすと,おりんは,息子に早く帰るよう促す.息子が下山する途中,雪が降ってくるのであるが,息子は母親のことが気になって,掟を破っておりんの元へ引き返してしまう.だが,母親のおりんは,何も言わずに,息子を帰らせる.帰るとき,息子は,隣の家の息子がその老父に縄を巻いて山へ背負ってくるところへ出くわす.縄でぐるぐる巻きにされた老父は,死にたくないのだろう,往生際が悪い.それを,老父の息子は谷へと突き落とすのである.

ことさらに残酷なのは,最後の部分である.山に捨てられた老婆が戻ってきたことがあるらしく,その家の者は,まるで蟹のように這ってきたと云った.それを聞いた子どもは,本当に蟹が這ってきたと思った.老婆は,一晩中家の外で泣くが,大人たちは,事情を知らない子どもに,あれは鳥の声だといってごまかす.さて,家に帰ったおりんの息子は,おりんの孫(つまり,自分の息子)が,おりんの作った酒を飲んでいるのを見る.孫の嫁がおりんの身につけていた帯を着ているのを見る.おりんはもう戻ってこない.

ほとんどの村人は,年寄りは山に捨てられるのが当然と思っている.そうしなければ,自分たちが生きていけないからである.そして,おりんのように,その習わしを当然のことと思っている者もいれば,谷底へ突き落とされた老父のように習わしを受け入れられない者もいる.現代では,高齢者福祉は当然のことであると考えられている.年金によって高齢者の生活は保障され,若い世代は,高齢者を支える.平均寿命は毎年更新されて伸びているし,歳をとっても健康でいることが喜ばれる.たとえ高齢の病者であっても,山に捨てることはしない.若いときには,想像しがたいことだが,次第に年齢を重ねると,自分が高齢者になっていく.高齢者を冷遇し,山に捨てるような行為をするということは,すなわち,将来自分も同じ扱いを受けるということである.そのあたりを考えると,現代のシステムは安心して歳をとれることを保証する.少なくとも,歳をとって山に捨てられることに怯えなくて済む.

三島由紀夫は,『楢山節考』の選考にあたって,これを「不快な傑作」だと云った.小説としては,まさしく傑作だが,人間性を踏みにじられ,読後にはこの世にたよるべきところなど一切ないという不快さを味わわされると云う.

三島は,同じく,不快な傑作として,アーサー・C・クラークの『幼年期の終わり』を挙げている.こちらは,オーバーロードという存在(簡単に云うと宇宙人)が地球に現れ,人類に指示を出して,人類の抱える問題を解決し,地球を統一するところから始まる.オーバーロードは,人類に指示や助言を与えるが,基本的には静かに見守るだけである.人類の前にも決して姿を見せない.
幼年期の終わり』は,ハリウッド映画にありがちな短絡的な小説ではない.読み終えると,これは傑作だと思える.しかし,愉快な気持ちにはなれないだろう.

幼年期の終り (ハヤカワ文庫 SF (341))

幼年期の終り (ハヤカワ文庫 SF (341))