読書記録<平成マシンガンズ>

平成マシンガンズ

平成マシンガンズ

第42回文藝賞受賞作.著者はデビュー当時15歳であった.

朋美は中学1年生で,両親は別居している.父親は娘に無関心で,家には父の愛人がいる.朋美は愛人の存在が気に入らない.自分の家庭の事情を学校の友人に詮索ほしくないと思っている朋美は,友人からの問いかけに表面的に答えてしまい不興を買う.以来,クラスから孤立,不登校になる.父親も愛人も救いにはならぬと思った朋美は,母親のもとへ行く.しかし恋い焦がれていた母親もまた幻想にすぎず,朋美の希望は失われる.吹っ切れて,自分だけが特別にゆがんだ状態にあるわけではないことを悟る.

文章は流麗である.ところどころ言葉が足りないと思えるところもある.
不登校を根本的に解決せず,転校という手段でごまかそうとすることや,友人との関係をあくまでお芝居を演じていると考えているのは,『野ブタ。をプロデュース』に良く似ている.ライトノベルの世界でもそうだが,学校を舞台にした物語が氾濫している.万人が親しみやすいという利点はあるものの,それゆえに陳腐なものでもある.ライトノベルの場合,特殊な概念と組み合わせて新感覚を生み出すこともできようが,純文学の場合は,あまりに奇怪な設定を持ち込むと急速にリアリティを失って作品が崩壊するだろう.

17歳でデビューした綿矢りさにしても,15歳でデビューした本書の著者にしても,小説の世界であまりに若くしてデビューすることは本当に良いことなのだろうか.今後の活躍を見なければ分からないことではあるけれども,十分な修行を積まないままプロ作家として書いていくのはつらくないものか.

バルガス・リョサは,小説家の場合,才能や天分といったものは長い時間の修練を積んではじめて獲得されるものであり,早熟な小説家はいないと云っている.これが本当なら,デビュー当時の綿矢りさや本書の著者・三並夏は未熟な小説家ということになってしまう.現代では,若くして華々しくデビューすることは話題性があり,商業効果も大きいだろう.けれども,作家本人や小説界のことを考えれば,非本質的戦略に基づくデビューはあまり幸せなことではないだろう.(バルガス・リョサは,ノーベル文学賞を受賞した,成功した作家の一人であるから,彼自身が自分の才能を自覚していない可能性はある.つまり,早熟な小説家は存在するかもしれない)