読書記録<陰摩羅鬼の瑕>

文庫版 陰摩羅鬼の瑕 (講談社文庫)

文庫版 陰摩羅鬼の瑕 (講談社文庫)

京極夏彦著,シリーズ第8弾.本作も浩瀚な作で,約1200頁に及ぶ.

白樺湖畔にそびえる洋館「鳥の城」.その主・由良昂允は,5人目の花嫁を迎えようとしていた.旧華族の家柄である由良伯爵家は,昂允の代になって4人の花嫁を迎えてきたが,その全員が婚姻の翌日に悉く謎の死を遂げていた.5人目の花嫁・薫子を守るべく,探偵・榎木津礼二郎と小説家・関口巽は,鳥の城を訪れる.

今回は,儒学,哲学を題材にしたものらしい.絶えず,存在とは,存在することとは何か,生きているということはどういうことなのか,という問いが発せられ続ける.そしてこの問いこそが,本作の中心教義となって作品を駆動させるのである.

生きていること,死ぬことは,つまりどういうことなのか.これは簡単なようでいて,実に難しい問いかけである.本作では,この問いを巡って事件が起こり,そして悲劇のうちに解決してしまう.では,生物学的には,死とは何か.特に人間の死とは何か.
人間の死は多段階的なものである.まず個体の死がある.これは我々が一般的に死と呼ぶときのものである.次には組織の死がある.そして,細胞の死がある.個体が死んでも,組織,細胞のレベルではしばらく生きている.けれども,躯全体の連絡(特に神経系)が断絶しているので,個体としては死んでいる.
人間は複雑な多細胞生物であり,人間を構成する細胞の自律的な連携が崩れたとき,人間は死ぬ.たとえ個々の細胞が生きていようとも,それらの細胞が一つの存在を保つことを止めたら,その存在は死ぬ.たとえば,ある音楽グループがあって,あるときに解散したとする.これが音楽グループの死である.グループの構成員が全員生きていても,グループとして連携しなければ,音楽グループは活動できない.もっとも,生物学的死の場合,不可逆変化であって,音楽グループ再結成のようなことは起こらないが.
Hela細胞という,生物実験ではよく使われる培養細胞がある.1951年に,ヘンリエッタ・ラックスという子宮頸癌の患者から確立された培養細胞で,いまでも世界中で使われている.ヘンリエッタはすでに亡くなっているが,彼女の躯の一部だった細胞は,いまだに生きている.けれども,これをもって彼女が生きているとは云えないだろう.
従って,人間の死とは,つまり個体の死だが,個体の死とは,個々の細胞の連携の停止であると云える.

個体の死を迎えると,あとに残されるのは遺体である.これはもう物体である.本作中でも,死体は,人の形をしたモノだと云っている.肉親が死んだときに,その遺体をモノだと思うことは難しいのかもしれない.けれども,解剖実習で解剖する御遺体は,モノだと感じられる.そうでなければ,とてもメスを入れることなどできない.
遺体についての考えの違いも,本作では重要である.

本作は,いままでのシリーズ作品に比較すると,シンプルな作りになっている.『絡新婦の理』『塗仏の宴』のような極めて複雑な事件というわけではない.シンプルなのに,ここまで大部に書けるとは,さすが京極夏彦大先生と云わざるを得ない.