読書記録<魂の文章術>

魂の文章術―書くことから始めよう

魂の文章術―書くことから始めよう

アメリカの詩人・作家ナタリー・ゴールドバーグによる,書くことについてのエッセイ.

詩にせよ,小説にせよ,エッセイにせよ,何かを書く人にとっては非常に励みになる内容になっている.「とにかく書く,厭でも書く,書いて書いて書きまくれ」という著者の強いメッセージが伝わってくる.

書くことはつらい作業である.三島由紀夫の言葉を引用しよう.三島は,全体の青写真ができあがってから書き始めるそうである.そして,その書く直前の状態が愉快だと云う.しかし,「書き出すやいなや,この愉快な気持ちはあとかたもなく消失する.一行一行が壁になり,彫刻家のノミに対する大理石になる」.また「作家は絶えざる消耗を強いられ」るとも云っている.

本書は,書く人を絶えず励ましてくれる.日記やブログを毎日書くのも,案外大変なものである.小説を書こうなどと思えば,なおさらに大変である.そういうときに,本書を読めば,書こうという気持ちになるだろう.書くことを続けてやろうという気持ちになるだろう.

理系の研究職でも,書くことは必須のスキルである.研究者は,己の研究成果を論文という形で世に送り出さねばならない.理系の場合,多くは英語で書くことになるが,そんなときでもやはり本書の励ましは役立つだろう.
2010年のNatureに次のような記事が載っていた(無料で閲覧可能).
Publications: Publish like a pro,Kendall Powell,Nature467,873–875(2010)
駆け出しの研究者向けに,論文を書く手ほどきをする内容である.毎日書け,書くことの上達には長い時間がかかる,など正統な文章修行が述べられている.研究者向けの記事なので,査読への対処,論文をいかに出版に持ち込むかが主眼になっている.

ナタリー・ゴールドバーグは,禅の心得があるようで,片桐老師のもとで禅の教えを受けている.片桐老師は,書くことを(禅の)修行にせよとナタリーに云った.ナタリーは最初,それはばかげていると思い,座禅を続けた.後年,ナタリーは師の言葉の意味を理解し始める.そして,本書を書きあげることによって,ようやくすべてを理解したそうである.禅的には本書を書くことで彼女は悟ったのである.

唐の禅僧・百丈は,生活のすべてが禅だと云った.掃除も,食事の用意も,食事も,みな禅の修行になり得る.だから,書くこともまた修行になる.修行を通じて,それまでの価値観とは異なる価値観を得ることが悟りである.鈴木大拙の言葉では「事物の観察に対する新見地を獲得する」ことが悟ることである.
書くことによって,新見地を獲得する.私がこのブログを始めたのは,文章の修行のためであった.いまだ新見地の獲得にはほど遠いと思うが,とにかく毎日書くことを続けたく願う.